転生
いろいろ考えた結果、名前を新しくしてブログも新設してやり直すことにしました。
以前の名前はもともと劣等感やらマイナスの感情から思いついたものだったので、最近はあんまり良くないかなと思っていました。
新しい方は、変に自分を下げたりせず、ただ自分の好きなように考えたものなのでなかなか気に入っています。
ブログ移転の一番の理由は、記事の方向性の転換です。
現在のブログは文字通り日記としてのみ使っていたのですが、新設する方は「インプットした知識、またそれを再構築した自分の意見を発信する」というのを一番の目的にするつもりです。
最近気づいたことなのですが、自分はどうやら客観的に自己評価をするのがものすごく苦手らしく、そのまま突っ走って失敗する悪癖があるようです。(一度の失敗で過度にウジウジしちゃうのもたぶんこれが原因)
それを防ぐためには他者視点の意見を積極的に取り入れていく必要があるので、ツールとしてブログを使ってみることにしました。
ということで、こっちのブログはそのうち使わなくなると思います。
消しはせずにひとまず非公開にしておくつもりなので、もしかしたら顔を出すかもしれません。
ありがとうございました。
二度目の限界
・おしゃべりを始めると止まらない
- ・自分のことばかりしゃべってしまう
・周りに相談せずに、独断で重要なことを決めてしまう
・言いたいことを我慢してイライラする
・衝動的に、人を傷つけるような発言をしてしまう
・ささいなことでもつい叱責してしまう
・会議や仕事(授業や勉強)に集中できない
・仕事(課題)に必要なものをなくしてしまう、忘れる
・仕事(課題)の締め切りに間に合わない
・仕事(課題)を最後まで終えることが難しい
・仕事(課題)でケアレスミスがよくみられる
・約束の時間にいつも間に合わない
・約束を忘れてしまう
・人の話を集中して聞けない
失敗した。
その解決策が「今までの生き方を全否定して生まれ変わること」しか思いつかなかった。
他人の迷惑にならないように、と自分で必死に必死に考えて編み出した処世術。
ようやく身につけた生き方、それ自体が過ちだったと気づいた。
自分の人生は間違っている。
重たい事実。
自分が今までやってきたのは、他人のためを思っての行動じゃない。
怒られるのが、自分の思い通りにいかないのが、否定されるのが、嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で仕方なくて、
上っ面だけ良く振る舞って、他人のご機嫌とって、少しでも自分が傷つかないようにするための防衛手段でしかなかった。
どうやっても人より劣るのはわかった。
だから、その差を埋めるために自分なりに努力してきたつもりだった。
ダメだった。違った。
大学に行かなくなった日の朝と同じ。自分の限界を感じた。
精一杯もがいた。
そのあがきが、全て無駄なことだったとわかった。
20年かけて染み付いた、”現実を見ない”という至極自己中心的な生き方。
意識の持ち方がどうとかそういうちんけなもんじゃない。
今までの人生を捨てて生まれ変わる。
生きてきたなかで最も難しい課題。
正直真っ向から立ち向かう勇気がない。
嘘ばっかついてきたから近くに親しい友人なんているわけがない。
今更家族に頼りたくもない。
相談はできない。
何より結局自分が動かないとどうしようもないのだ。
”自分は承認欲求を満たすために、相手を利用している”。
わかっていたつもりだった。吐き気がするほど自己中心的な考え方だ。
でも、その汚染は”会話”という行動だけではなく、自分の生活、人生全てに広がっていた。
今頃気づくなんて遅すぎる。
一体どこからやり直せばいいのか、何をすればいいのか、全くわからない。
他者からの承認に依存し、廃れた脳に考える力は残されているのか。
目が覚めたら、自分は一体どういう風に生きていけばいいのだろうか?
全ての欲求を封じ機械のように振る舞っても、ミスの多いポンコツなど誰も欲しがりはしないだろう。
かといって”自分”をそのままストレートに表現したりすれば、今までの二の舞いだ。
性懲りもなく他者からの承認を求め、他人から否定されるのを恐れながら生きていくに違いない。
・・・やっぱり結論が出ない。
もうダメだ。情報が多すぎてゴチャゴチャしている。腐りきった脳にはオーバーワークだ。
整理がつくまでもう少し時間をとろう。それまで寝たくない。
打倒ADHDを目指して
10日間であったこと
気づけば前回の記事から10日も経っていました。
その間にあったことは、
・一度カウンセリングに行き、次回知能テストを行うことになった。
・ストラテラを一日5mg飲み続けている。
・成人式と同窓会に出席した。
・大掃除で溜まったごみをほぼ捨て切った。
・毎日少なからず勉強を継続している。
こんな感じでしょうか。
医療関係では、先生と相談した結果心理士による知能テストをすることになりました。
これは後述しますが自分がこの一年でやりたいことを打ち明けた結果です。
予約の都合上次回の受診がだいぶ先になってしまったので、無理をしすぎないよう気をつけたいです。
ストラテラはだいぶ慎重に処方してくれているみたいです。焦らず様子を見ていこうとのことでした。
また、当方2015年に無事成人できたので成人式への招待が届いていました。
親から背中を押されたのもあって、ドタキャンすることもなく成人式と同窓会両方に出席してきました。
結論からいうと本当に行ってよかったと感じています。
久々に会ったからいろいろ補正がかかっているのかもしれませんが、中学時代の同級生と臆することなく交流できました。
意外にも苦労している人が多く、お互い励まし合うこともありました。
中学の時は今と違い良くも悪くも個性全開で、周りに比べて成績も高かったので、高校から関わりのある人たちとはまた違う印象を持たれていると思います。
そんな旧友たちと会話できたことは自分にとって大きな刺激となりました。
「自分はひとりぼっちではない」「不安にならなくても大丈夫だ」ということを身をもって体感できたのも良かったと思います。
周りの環境を整える力も少しずつついてきたようで、紙に考えを書きなぐり、じっくり眺めながら因果関係やリスク、目的を考慮して頭の中を整理していく流れ(いつか名前つけます)を実行するようになってから、短時間で今までの自分では考えられなかった量の行動をこなせるようになりました。
その結果部屋が片付き、心に余裕ができてきたので最近では本を読む気がわいてきました。
最近、実は勉強(知識を蓄えること)とそれで得たものを分析し最適化していくのが好きなのではないかと勘ぐり始めたので、試しにもっといろいろな本を読んでみてこれからの人生をよりよいものにしていけたら良いなと思っています。
そして、4月からは今の大学を辞めて、バイトをしながら運動と勉強をし、1年かけて今より健康な生活を送れるようになりたいと望んでいます。
思えば去年の11月ごろに自分の限界を感じてから今にかけて、(客観的にですが)見違えるほど生活の質が上がっていると感じます。
わがままとしては今の状態でもう一度大学受験をしてみたいです。
大学生の肩書を得て、娯楽を満喫するためではなく、
まずは自分のため、そしてゆくゆくは他の人達のためになるような勉強を、自分が理想とするような環境でしたいという思いがあります。
まだ両親にはきちんと話をつけていないのですが、この記事を書いて少し気持ちの整理がついたので近い内に相談しようと思います。
今までで一番長い文章を書きましたが、やっぱり読みづらい気がします…。
ADHDなりにうまいことまとまった文章を書けるスキルも身につけて行きたいです。